2005年4月17日、陸上自衛隊松本駐屯地(松本市高宮)にて第55回駐屯地祭が開催された。今回は創立55周年の節目と云うことであったが、この時期には日韓・日中関係の悪化など懸念も多く、前年度に比べても非常に不安な状況ではあった。しかし、それでも国民、特に地元住民との交流という面に於いて、こうしたイベントはとても重要であるし、その開催に当たった方々のご尽力には敬服する。
今回は、長野市から電車で行くこととなった。快速「みすず」にて
南松本駅到着。ここから駐屯地までは徒歩15分ほど西に真っ直ぐ行ったところである。
と、目の前に自衛隊迷彩のナップザックを背負った男性が歩いておられた。進行方向も全く一緒、私と同じファンの方か?と思ったのだが、途中で左折されてしまった。
思い過ごしかと忘れかけていたが、後に駐屯地の中でもそのお姿を発見。どうやら関係者入場口から入られたようである。
外周フェンスから見えた射的
駐屯地には開場30分も前の0830時頃には着いてしまったが、既に2〜30名の行列が。
さすがオタク、もとい、ファンの方々だと感心。私もその最後尾に並んだのだが、
毎分5人ずつ増えていく行列に整理担当の自衛官の方も困り果てたのか、
予定の開場時間より15分早い0845時には入場が開始された。
今回も、松本駐屯地のホームページ上にて、先着順のプレゼント券がアップロードされていた。今年はカレンダー引換券。先着180名ということで、既に開場前から目測100名前後いた入場待ちの一般客を押しのけ、広報班へと急いだ。
広報班には、昨年は時間帯が若干遅かったためかWAC(女性自衛官)の方が1名いらっしゃっただけであったが、今回は何しろ9時前だったので、数人の方がいらっしゃった。なかなかこの引換券企画も知られているらしく、私の前後にも数人がいて、カレンダーを受け取っていた。ある自衛官の方はぽつりと「これはすごい(人数だ)な」と仰有られていた。ちなみに、私は弟をダシに、カレンダーを2部頂いた。
さて、次のプログラムへと行きたいところであったが、何しろ時間はまだ9時を廻ったところ。記念式典は1000時からなので、約1時間する事がない。仕方が無く駐屯地内をぶらぶらしていると、どこからか怒号が。見ると、おそらく式典で登場するのであろう完全装備の自衛官達が、指揮官からの言葉を聞いていた。こうした光景も、時間前に着た特権であろうか。
手前の自衛官の鉄帽(ヘルメット)後部には旧迷彩のあて布を使って反射材がついている。
式典会場近くで救護所として使われていたアンビ
そんなこんなで30分ほど時間を潰し、式典会場へ向かう。昨年は観客席に座れず、若干離れたところからしか拝見できなかったのだが、今回はこの時間、殆ど人がいないため、堂々と観客席の最上段に登ることが出来た。
式典開始1000時までの退屈な時間であったが、それでもこれから行われるイベントに、高鳴る胸を押さえきれなかったのも事実である。特に、0930時には時計合わせの放送がなされて、更なる緊張感を得ることになった。
漸く1000時になり、式典開始。松本駐屯地音楽クラブと宇都宮駐屯地音楽クラブの合同演奏隊が入場し、その演奏で各部隊が入場行進してきた。
松本駐屯地音楽クラブと宇都宮駐屯地音楽クラブの合同演奏隊
山岳レンジャー部隊。9mm機関けん銃を装備
第13普通科連隊 本部管理中隊(重迫撃砲小隊、通信小隊、施設小隊、情報小隊、補給小隊、衛生小隊)
同 第1中隊 市街地戦等近接戦闘装備(ゴーグル、防護マスク、防弾チョッキ等)
同 第2中隊 空中機動装備(ロープ、カラビナ、ゴーグル等)
同 第3中隊 山地機動装備(ロープ、背嚢等)
新隊員教育隊(3月29日入隊 4月5日入隊式)
遠すぎて撮影が出来なかったが、これらの部隊以外には
・第306施設隊(築城小隊、障害小隊、機動支援小隊、渡河機材小隊、交通小隊)
・第102施設直接支援大隊第1直接支援隊
・第12後方支援隊第2整備中隊第2普通科直接支援小隊
・即応予備自衛官部隊(第48普通科連隊第2中隊担当)が入場された。
観閲部隊指揮官 第13普通科連隊副連隊長・上田2等陸佐がジープから下車、敬礼を受けられる。
第13普通科連隊連隊長兼松本駐屯地司令・村永1等陸佐が入場
国旗掲揚に対し敬礼される自衛官
村永1等陸佐が観閲される